うつわノート八丁堀店
東京駅からも程近く、高層ビルが建ち並ぶオフィス街の一画、そこだけ時の流れを忘れたような場所があります。ひっそりと佇む四階建ての小さな古ビルが今回の舞台です。
うつわノートさんの写真から抜粋
記憶からも記録からも消されてしまいそうな小さな灯台があります。そこでは、確かに火が灯されてきたのです。荒れ狂う大海原の中、方角を見失わぬよう火を二つ灯し続けてきたのです。
看板
ある日、そこに第三の火が灯されました。さ迷える航海士たちはその小さな灯台の火を見つけることが出来るでしょうか。
2016年10月10日、薄日差す月曜日の午後、東京都中央区八丁堀のとある古ビルに新たな火が一つ灯りました。川越市にあるgallery『うつわノート』さんの初めてのサテライトショップとなる八丁堀店の誕生です。
一般的に、醜いものは嫌われ美しいものは好かれます。「醜と美」対極にある二つの基準、それは本当に正しいのでしょうか。
数多ある中から自らの基準で選び出す行為は、根気と時間のいる作業となります。どれが醜く、どれが美しいのか見分ける作業は困難を極めることでしょう。
ここで、一つの疑問が浮かびます。人は何を以て、これは醜く、これは美しいと考えるのでしょう。その基準は何処から来たのでしょう。
完璧な答えは見つかりません。何故ならば人それぞれの基準があるからです。
同じものを見ても、ある人には醜く、ある人には美しく感じます。どの基準に照らし合わせるかでも答えは変わるでしょう。考えれば考える程に深みには嵌まっていきます。
クラフトフェアが各地で林立する昨今、作家と客のみでも商売は成り立ちます。では、galleryが存在する意義は何処にあるのでしょう。
その答えの一つに、galleristsやcuratorの存在があります。その眼をもって選び抜かれた作品は、美しいものへと昇華します。それが世間一般的に醜いと言われるものであってもです。
美しいの基準は必ず変化していきます。歴史がそれを証明しているのです。
人は信頼をおいた人の言葉にはきちんと耳を傾けます。それが間違っていたとしても。あとは、自らの基準に委ねれば良いのです。決して一人では得られなかった答えに辿り着けるでしょう。
一つのビルの中に三つの審美眼、重なり合う美もあれば、そうでない美もあります。選ぶ基準も違えば、展示する基準も違います。「みんなちがって、みんないい -金子みすゞの詩から抜粋-」そんなワンダービルの誕生です。
「流れに、形に、風に触れる。目に、手に、口に触れる。いつか心の琴線に触れますように。」
さあ、みんなの美しいを探しに旅立とう :-)
4F うつわノート
3F pragmata -πραγματα-
2F 書肆 逆光
1F 胃袋を満たす場所
by waninogena2
| 2016-10-11 22:12